【乃木坂46】深川麻衣のアイドル時代について!「聖母」な人柄やセンターを断るなどまとめました!

乃木坂46の1期生としてデビューし、グループ初期を支えた深川麻衣さん。現在は女優として活躍していますが、彼女のアイドル時代には多くの感動的なエピソードがあり、今もなお語り継がれています。
本記事では、そんな深川麻衣さんの乃木坂46時代について、加入から卒業までを振り返りつつ、印象的な出来事や人柄にまつわるエピソードをご紹介します。

2011年8月21日、20歳で乃木坂46の1期生オーディションに合格し、夢を叶える第一歩を踏み出します。


■ 乃木坂46時代の歩みと活躍

▼ 初期の苦難と飛躍

デビューシングル『ぐるぐるカーテン』(2012年2月)では選抜メンバーに選ばれず悔しいスタート。しかし、3rdシングル『走れ!Bicycle』で初選抜入りを果たし、少しずつ存在感を高めていきました。

▼ 福神入り・舞台での活躍

  • **9thシングル『夏のFree&Easy』**で初めて「福神」入り
  • 2014年の舞台『16人のプリンシパル trois』では、主要10役を制覇するという快挙
  • 女優としての素質もこの頃から注目されるように

▼ センター抜擢と卒業

2015年『今、話したい誰かがいる』で初のフロントポジション、
2016年『ハルジオンが咲く頃』で初のセンターに抜擢され、同曲が卒業シングルとなりました。

卒業コンサートは地元・静岡で開催され、グループとファンに愛されながら、有終の美を飾ります。


■ アイドル時代の特徴と魅力的なエピソード

1. 「聖母」と称された人柄

深川麻衣さんは、穏やかで優しく、包容力に満ちた性格から「聖母」と呼ばれていました。
後輩にも丁寧に接し、彼女が通っていたお店を後輩に紹介するなど、自然と“乃木坂の良心”としての立ち位置に。

  • 櫻坂46・森田ひかるさんも「憧れの人」として名前を挙げており、次世代にも影響を与えた存在です。

2. センターオファーを断ったことも

活動中、センターの話を持ちかけられた際、
私が勝負したいのは歌ではない」という理由で断ったというエピソードも。
この行動は謙虚さだけでなく、自分の将来を見据えた強い意志の表れでした。

3. “列を下がらず卒業”という稀有な記録

乃木坂46の選抜フォーメーションにおいて、一度も「列を下がる」ことなく卒業した数少ないメンバーです。
※列を下がる=ポジションが後列に移動すること

4. 「ふかがわまいプロジェクト」で地元との交流

3rdシングル「走れ!Bicycle」時には、名前の縁で北海道・深川市のJAとコラボ。「ふかがわまいプロジェクト」として、現地でのPV撮影や交流も行いました。

5. メンバーとの信頼関係

橋本奈々未さんとの対談では、「よく悩み相談をしていた」と語られるなど、内に悩みを抱えながらも仲間に支えられ、支える存在でもありました。

6. ファンへの思い

卒業を決意してからは「一回一回の活動を大切にしたい」と強く思うようになり、握手会などのファンとのふれあいの場をより大切にしていたそうです。


■ 卒業シングル『ハルジオンが咲く頃』の意味

深川麻衣さんにとって、センターとして迎えた『ハルジオンが咲く頃』は、彼女のこれまでの努力と優しさが詰まった1曲
歌詞やパフォーマンスには、アイドルとしての集大成と彼女の人柄が色濃く映し出され、多くのファンの心に残る楽曲となりました。


■ まとめ:深川麻衣は“愛され続けるアイドル”だった

深川麻衣さんは、決して派手な存在ではありませんでしたが、
常に周囲を思いやり、自分らしく歩み続けた5年間の軌跡は、乃木坂46の歴史において非常に重要な役割を果たしました。

  • 1期生としてグループを支え
  • フロント、福神、センターと着実にキャリアを重ね
  • 女優へと羽ばたいていく姿は、多くのメンバーやファンに希望を与えました。

今後も、彼女が築いた“乃木坂らしさ”は受け継がれ、語り継がれていくことでしょう。


深川麻衣さんの乃木坂46時代は、「聖母」と呼ばれた優しさと、努力によって切り開かれた道そのもの。卒業後の女優活動も含め、これからの活躍にも注目です!

PAPAN

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