1980年代のアイドルブームの中で鮮烈なデビューを飾り、現在は研究者・大学教授としても注目を集めるいとうまい子さん。しかしその華やかな経歴の裏側には、「脱がされた」「拒否で干された」「地獄に落ちたような20代」といった、ショッキングな過去が存在します。
この記事では、彼女の波乱に満ちた20代と、そこから再起するまでの軌跡を詳しくご紹介します。
いとうまい子さん(本名:小野田麻衣子)は、1982年に**『第1回ミスマガジン』グランプリ**を受賞。その翌年には「伊藤麻衣子」名義でアイドル歌手として芸能界デビューを果たします。
1980年代らしい清純派のルックスと天然なキャラクターで瞬く間に人気者となり、ドラマやバラエティ番組への出演も増えていきました。
そんな彼女に転機が訪れたのは、デビュー4年目の1987年。主演を務めた映画**『愛しのハーフムーン』**の撮影現場での出来事が、後に多くのメディアで取り上げられました。
当初は“青春映画”という触れ込みで出演を承諾していたものの、現場に入った後に突然「脱ぐシーン」が追加されていたというのです。
メイク担当者から「肌を出すための特殊テープ」を渡され、そこで初めて自分が脱ぐ演出をされることを知ったといいます。
本人はこの件について「事前に何の説明もなく、選択の余地もなかった」と複数のインタビューで語っており、大きなトラウマとして残ったようです。
さらにこの映画出演に続き、当時の事務所は写真集の企画においても露出度の高い撮影を強行しようとしていたとされています。
いとうさんはこれを一貫して拒否。その結果、事務所側との信頼関係が崩れ、最終的には契約を解除することに。
「脱ぐか脱がないかの選択を迫られ、自分の意思を通すために辞めた」と、当時を振り返って語っています。
事務所を辞めることは、当時の芸能界ではほぼ“芸能活動終了”と同義でした。彼女はこの時期を「地獄に落ちたよう」と形容しており、事実、その後10年近くにわたり、テレビ出演や映画出演の機会が激減する“干された時代”を経験します。
しかしその苦境の中でも、自分の価値観や信念を曲げず、「ありのままの自分で生きる」ことを選択したのです。
いとうさんの人生は、そこから大きく変化していきます。
45歳で早稲田大学eスクールに入学し、予防医学を学び始めた彼女は、その後研究分野をロボット工学へとシフト。
高齢者の運動支援ロボット「ロコピョン」を開発するなど、研究者としても頭角を現しました。
さらには名古屋大学大学院博士課程を修了し、2024年からは大学教授として「ヒューニング学」を指導。自身の経験から「学び直しの大切さ」「年齢に関係なく挑戦すること」の意義を説いています。
いとうさんは現在、以下のように多方面で活動しています:
まさに“パラレルキャリア”の実践者として、再び注目を集めているのです。
アイドル時代、無理やり脱がされそうになった経験にNOを突きつけたことで、いとうまい子さんは一度、芸能界の表舞台から姿を消すこととなりました。
しかし、その選択があったからこそ、現在の彼女は本当にやりたいことを選び取れる自由な人生を手にしています。
「干された」「地獄だった」と語る20代は、決して無駄ではなく、むしろ彼女の人生を強く美しく彩る時間だったのかもしれません。
いとうまい子さんのように、「自分らしく生きる」という選択を、あなたはどう捉えますか?
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