今回は芸人で24時間マラソンのランナーとして走ったやす子さんについて
生い立ちがかなり壮絶だったので
幼少期の事や、児童養護施設の事など
まとめてみたいと思います
やす子さんの生い立ち
やす子さんは1998年9月2日生まれの26歳で
出身は山口県です
両親はやす子さんが2歳のころに離婚されており、実母に引き取られたそうです
母子家庭ということもあり生活は苦しく部費や家賃も払えないことも多かったようで
中学時代は5歳下の妹と共に給食以外にご飯を食べられないことも頻繁にあったそうです
児童養護施設に入るきっかけ
やす子さんは14歳か15歳のころに交通事故にあい九死に一生をえたそうです
その事故の後から人間関係も家庭環境も悪化して親元を離れ児童養護施設で過ごすことになったそうです
厳しかった高校生活
児童養護施設に入っていた高校生時代は3年間仲間外れにされてしまったようで
きっかけは同級生からの悪い誘いを断ったことで仲間外れにされてしまったようです
3年間トイレでご飯を食べ、そのほかの時間は図書室で過ごしていたそうです
さらに学費も払えない状況もあり人生辞めちゃおうかなと思ってしまうこともあったそうです
そんな中でも妹さんのために飲食店でバイトをしていました
高校卒業後は自衛隊に入隊
高校卒業後は衣食住がそろった環境で働きたいと考え自衛隊に入隊しました
他にもパチンコ店の候補にありましたが採用に落ちてしまったので「助けてくれ」と願い自衛隊に入隊したと語っています
自衛隊では6か月の教育機関を経て京都府の大久保駐屯地に配属されたそうです
さらに女性では珍しい『ドーザ手』と呼ばれるブルドーザーのオペレーターとして
災害時は土砂やごみをきれいにしたり、任務では戦車が通る道をつくったりする部署で活動したそうです
自衛隊としては2017年から2019年まで活動しました
自衛隊を辞めるときは周りから止められた
やす子さんは生活面がすこしポンコツだったらしく周りが「自衛隊を辞めてやっていけるのか?」と心配したそうです
退官後に働く場所や住むところを決め、文書にして提出しろとまで言われたそうで周りから愛されていたことがうかがわれます
現在でも自衛隊活動を行っている
現在でも自衛隊経験者がなることができる即応予備自衛官として月に一度訓練をしに茨城県の霞ケ浦駐屯地に通っているそうです
自衛隊を辞めた後
自衛官を退官後は都内で清掃員として働いていたようです
元々一人の時間が好きだそうで、一人でできる仕事を探し、清掃会社を見つけたそうです
芸人になったきっかけ
清掃会社で働き始めて半年がたったころ、高校時代からのSNS友達だった女の子が千葉に住んでいて
休日に遊ぶことになったそうです
その友達が唐突に「吉本興業の養成所に入ってお笑い芸人になりたいけど、勇気がないからいちど私と漫才をしてほしい。ネタも書いてほしい」と頼まれたそうです
急な頼みで出来るわけがないと思いましたがその友達がすごく心の弱い子だったそうで「ここで断ったらこの子が病んでしまう」と思い協力することにしたそうです
この時やす子自身は芸人について全くと言っていいほど知識がなかったそうです
その友人と「新人類」というコンビを結成し事務所にも所属がきまりました
しかし事務所ライブ当日に相方が欠席してしまい急遽1時間ほどでピンネタをつくったそうです
この時に芸名を本名(やすい かのん)から現在の「やす子」に変更しピン芸人として2019年9月から活動しています
さいごに
やす子さんは今年の24時間テレビのマラソンランナーとしても話題になりましたね
テレビでは見ない日がないほど人気のやす子さんですが彼女が今頑張れるのは
壮絶な生い立ちを経験した過去があるからこそかもしれませんね
将来的には「子ども食堂」をやりたいと語っているやす子さん
自身の生い立ちや児童養護施設での生活などから子供たちにできることを考えられていて素晴らしく
尊敬しました
今後のやす子さんの活躍も応援していきましょう!
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