日本サッカー界のレジェンドとして知られるラモス瑠偉さん。
現役引退後も指導者・解説者・タレントとして活躍する一方、その私生活は妻との死別、再婚、そして脳梗塞やがんとの闘病など、まさに波乱万丈の人生でした。
この記事では、
ラモス瑠偉さんの現在の活動、家族との関係、2人の妻とのエピソード、病気からの復帰までを分かりやすく徹底解説します。
ラモス瑠偉の現在|今も日本サッカー界のレジェンド

ラモス瑠偉さんは現在も、日本サッカー界を代表する存在として幅広く活動しています。
現在の主な活動内容
- サッカー解説者・コメンテーター
- テレビ・バラエティ番組への出演
- 講演会や教育・啓発活動
- ビーチサッカーを通じた普及・指導
- クラブ運営への関与
日本サッカー協会からは**「日本サッカー殿堂」**にも選出されており、その功績は今なお高く評価されています。
ビーチサッカーでの功績と現在
ラモスさんは過去にビーチサッカー日本代表監督を務め、
- アジア選手権優勝
- FIFAビーチサッカーW杯 ベスト4
といった実績を残しました。
現在もその経験を活かし、競技普及や次世代育成に力を注いでいます。
ラモス瑠偉を襲った病気|脳梗塞とがん

① 脳梗塞(2016年)
2016年12月29日の早朝、自宅で異変が起こります。
- 就寝中に左手が勝手に動く
- 起き上がろうとしてベッドから転落
- 左半身が動かなくなる
この異変に気づいたのが、再婚相手の俊子さんでした。
俊子さんは迷わず119番通報し、迅速な救急搬送につながります。
診断は中大脳動脈が詰まるタイプの脳梗塞。
医師からは「車いす生活の可能性もあった」と告げられましたが、懸命なリハビリの末、現場復帰を果たしました。
ラモスさんはこの出来事について、
「奥さんのおかげ。命の恩人だよ」
と語っています。
② 直腸がん(ステージ3)
その後、**直腸がん(ステージ3)**も発症。
- 放射線治療・抗がん剤治療
- 7時間以上に及ぶ大手術
という過酷な治療を乗り越えました。
このときも俊子さんは、
- 告知時から常に付き添い
- 栄養を徹底的に勉強
- 魚中心・和食中心の手料理を毎食用意
- 夜遅くのリハビリ散歩にも同行
と献身的に支え続けました。
ラモスさんは、
「脳梗塞とがん、2度も助けられた。本当に命の恩人」
と語っています。
再婚相手・俊子さんとはどんな人?

- 一般女性(芸能活動なし)
- ラモスさんより約20歳年下
- 2015年11月に再婚
職業や詳しいプロフィールは非公表ですが、
闘病中の献身的な支えから、ラモスさんにとってかけがえのない存在であることが伝わってきます。
前妻・清水初音さんとの27年間

出会いと結婚
- 1980年頃、友人の紹介で出会う
- 初音さんは当時、美大生
- 母親同伴の「3人デート」で交際
- 1984年に結婚
支え合った夫婦関係
- バイク事故で選手生命の危機の際、毎日病院に通い看病
- サッカー人生・ビジネス面の相談役
- 落ち込んだラモスさんを叱咤激励
まさに妻であり、親友であり、ビジネスパートナーのような存在でした。
病気と別れ
- 2011年、転移性肝がんで52歳で逝去
- 結婚生活は約27年間
死去後、ラモスさんは「もう再婚しない」と話すほど深い喪失感に包まれたといいます。
子どもたちと現在の家族

長男:ラモス・ファビアノさん
- 1985年生まれ
- サッカー指導者
- 2025年に社会人クラブ 「CARIOCA FC」 を設立
- 代表兼監督
ラモス瑠偉さん自身もエグゼクティブディレクターとして関わっています。
長女:FABiANA(ファビアナ)さん
- 1988年生まれ
- 歌手として活動
- 2015年に結婚
- 2児の母
ラモスさんは現在、孫2人のおじいちゃんとしての時間も楽しんでいるそうです。
「命の恩人」と語る理由まとめ

ラモス瑠偉さんが俊子さんを「命の恩人」と呼ぶ理由は、
- 脳梗塞時の迅速な119番通報
- 入院・リハビリ中の献身的な支え
- がん闘病中の生活・食事管理
- 精神的な支えとしての存在
これらすべてが積み重なった結果です。
まとめ|波乱万丈でも前を向き続けるラモス瑠偉
ラモス瑠偉さんは、
- 妻との死別
- 再婚
- 脳梗塞
- がん
という数々の困難を乗り越え、現在も日本サッカー界の第一線で活躍しています。
家族に支えられながら、
「ラモスの魂」を次世代へつなぐ存在として歩み続ける姿は、多くの人に勇気を与えています。


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