読売ジャイアンツの増田大輝選手といえば、育成から這い上がった苦労人として有名ですが、彼の“異色の経歴”に注目が集まっています。
今回は、プロになる前に経験していた「とび職」としての生活にスポットを当て、その経験が現在の野球人生にどうつながっているのかを詳しくご紹介します。
増田選手は、徳島県の小松島高校を卒業後、近畿大学に進学しました。
しかし、環境に馴染めず中退。夢を追うどころか、一度は野球からも離れた時期があったのです。
大学を中退した後、地元に戻った増田選手は、生活のために建設現場で働き始めます。
とび職とは、ビルや橋、高速道路などの建設現場で足場の組立や解体、高所作業などを担う仕事。肉体労働でありながら、命の危険も伴う過酷な職種です。
この時期について、増田選手は「毎日が必死。落ちたら死ぬと思いながら働いていた」と語っており、非常に厳しい日々だったことがうかがえます。
そんな生活の中でも、週末には草野球を続けていた増田選手。
ある時、「やっぱりもう一度プロを目指したい」と思い直し、四国アイランドリーグ(独立リーグ)のトライアウトを受験。
そして、地元チームである徳島インディゴソックスに入団し、再びプロ野球への道を歩み始めたのです。
増田選手は、とび職時代に培った経験が今の自分を支えていると語っています。
これらは、プロの厳しい世界で戦うための“下地”となり、育成選手から1軍定着という快挙へとつながっていきました。
泥臭く、まっすぐに努力を続けてきた増田大輝選手。その背後には、過酷な現場で汗を流した“とび職”時代の経験がありました。
どんな困難も糧に変えてきた彼の生き様は、多くの人に勇気を与えてくれます。
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