元プロ野球選手であり、現在は俳優・山田裕貴さんの父としても知られる山田和利(やまだ かずとし)さん。
中日ドラゴンズや広島東洋カープでプレーし、引退後はコーチや球団編成にも携わるなど、野球界で長年にわたり活躍してきました。
さらに、息子で俳優の山田裕貴さんとの親子関係についても数多くのエピソードが語られています。
本記事では、山田和利さんの経歴や野球選手としての実績、そして家族との関係について徹底解説していきます。
1983年のドラフト会議で中日ドラゴンズから4位指名を受け、プロ入り。
1988年には遊撃手として82試合に出場するなど、ユーティリティープレイヤーとして頭角を現しました。
1991年に広島へ移籍。
1992年以降は二塁・三塁・一塁を守り、堅実な守備と俊足を活かしてチームに貢献。
特に1995年には一塁手として70試合に先発出場し、チームの2位躍進に大きく貢献しました。
1996年に中日に復帰しましたが、度重なる故障の影響もあり、その年限りで現役を引退しました。
引退後はすぐに指導者へ転身。
長年にわたり、次世代の選手育成や球団運営を支えてきました。
山田和利さんの家族は、芸能界でも有名です。
特に裕貴さんは、父の野球人生を間近で見て育ちながらも、野球ではなく俳優の道を選びました。
山田和利さんと俳優・山田裕貴さんは、互いに尊敬し合う親子関係で知られています。
裕貴さんが少年野球をしていた頃、緊張して打席に立つと、父から「楽しめ!」と声をかけられ、力を抜いてヒットを打てた経験があります。
裕貴さんの主演舞台を観に行き、「よかったぞ」と短く声をかけた父。その一言が裕貴さんを感動させました。
また、裕貴さんが父の背番号30番のユニフォームを着て始球式に登場したこともあり、親子の絆を象徴するエピソードとして話題になりました。
実は山田和利さんは、数年前に癌と闘病していたことを裕貴さんがSNSで公表しています。
その報告には「父の頑張る姿を見て、自分も負けていられない」と裕貴さんの強い思いが綴られており、家族の絆の深さが伝わりました。
2025年7月公開の映画「木の上の軍隊」に関連したインタビューで、裕貴さんは父について「重圧でもあり、目標でもあった」と語っています。
また、ラジオ番組「オールナイトニッポン」でも父の姿勢やプロフェッショナルとしての生き方に触れ、強い影響を受けていることを明かしました。
野球人としても父親としても、多くの人に影響を与え続けているのが山田和利さんです。
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