モデルやタレントとして幅広く活躍している藤田ニコルさん。彼女の明るく前向きな性格や、芯の強さはどこから来ているのでしょうか? そのルーツには、母親である【ままるん】の存在が大きく影響しているようです。
今回は、藤田ニコルさんの母・ままるんの若い頃のエピソードや、海外での結婚・育児、日本に帰国してからの苦労などを詳しくまとめました。
■ 若い頃のままるんはアクティブで自由な女性!
お母さんと初めて撮ったプリクラが
— 藤田 ニコル(にこるん)🌙 (@0220nicole) March 26, 2016
でてきた(´-`).。oO(懐かしいね
1人暮らし始めるとお母さんの存在ってでかいよね〜〜(´・_・`)! pic.twitter.com/Ibe3fdpy8L
藤田ニコルさんの母・ままるんは、生粋の日本人。若い頃は非常にアクティブな女性で、サーフィンを楽しみ、バックパッカーとして世界を旅する自由なライフスタイルを送っていました。
特にニュージーランドには深い縁があり、旅の途中で訪れたこの国で、のちにニコルさんの父親となるロシアとポーランドのハーフの男性と出会います。彼は現地で会社を経営していた実業家でした。
ニュージーランドでの出産と異国での子育て
ままるんは25歳のとき、ニュージーランドで藤田ニコルさんを出産。当時の家庭は非常に裕福で、家の中にブランコや螺旋階段がある豪邸に住んでいたそうです。
しかし、その生活は長くは続きませんでした。父親の会社が倒産し、夫婦関係も破綻。離婚を経て、母と娘は日本へ帰国することになります。
■ 日本での生活とシングルマザーとしての奮闘

帰国後、ままるんはシングルマザーとして藤田ニコルさんを育てます。経済的には非常に厳しく、朝はパチンコ店、夜はスナックと、1日14時間以上働きづめの生活を送っていました。
家計は火の車で、ニコルさんも「家にお金がなかった」「お母さんがいつも必死に働いていた」と当時を振り返っています。進学や習い事も制限され、友人たちとの格差に悩む場面も多かったそうです。
しかし、そうした状況下でも、ニコルさんは幼いながらに「母の力になりたい」「自分で稼げるようになりたい」と強く思うようになり、これが後の芸能活動につながっていくのです。
■ 自由な子育て方針と母の信念
ままるんの子育ては、非常に自由なものでした。
- 「うちはうち、外は外」
- 「聞くのはタダ」
というポリシーを持ち、門限もなく、学校に行けと言われたこともないほどだったそうです。
ただし、「人を傷つけること」だけは絶対に許さなかったという一面もあり、愛情と責任のバランスを保った育て方をしていたことがうかがえます。
また、弟を出産した際には心肺停止となるほどの危機を乗り越えており、まさに命がけで家族を守ってきた母親です。
■ 母と娘の絆と芸能界への道
今日は仕事が早く終わったので、娘がプロデュースしているCALNAMURの展示会へ🏃♀️
— ままるん (@1niconico) May 15, 2025
どれも素敵で、娘のこだわりや成長を感じられて、胸がいっぱいに❤️
私にはまだ着こなせないけれど…もっとダイエットしたら、いつか似合う日が来るかな笑笑
母として、嬉しい時間でした。#calnamur pic.twitter.com/XTEgEn7ItT
ままるんは、いつでも藤田ニコルさんの一番の味方であり続けました。モデル活動のきっかけとなったのも、母親が**「名前が似ているから」とファッション誌『nicola』を買ってきてくれた**ことだったそうです。
娘の夢を応援し続けた母。その存在が、ニコルさんの原動力になっていたことは間違いありません。
■ まとめ:ままるんの強さと自由さがニコルさんの原点
藤田ニコルさんの母・ままるんは、若い頃から自由でアクティブな人生を送り、異国の地での出産・育児という経験を経て、日本ではシングルマザーとして懸命に家族を支え続けました。
常識にとらわれない自由な子育て、そしてどんな苦境でも家族を守り抜く強さ――。その背中を見て育った藤田ニコルさんもまた、強く自立した女性へと成長しました。
藤田ニコルさんの活躍の裏には、いつでも味方であり続けた母・ままるんの存在があったのです。
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