“ひふみん”の愛称で親しまれる将棋棋士・加藤一二三(かとう ひふみ)九段。
現在はバラエティ番組でもおなじみですが、若い頃は「神武以来の天才」と呼ばれた伝説的棋士でした。
本記事では、加藤一二三の若い頃の驚異的な経歴から、妻・紀代さんとの純愛エピソード、そして4人の子どもとの家族の絆までを分かりやすく解説します。
加藤一二三(ひふみん)の基本プロフィール

- 名前:加藤 一二三(かとう ひふみ)
- 生年月日:1940年1月1日
- 出身地:福岡県
- 肩書き:将棋棋士・九段
- 愛称:ひふみん
幼少期と将棋との出会い

加藤一二三さんが将棋と出会ったのは小学4年生の頃です。
朝日新聞に掲載されていた将棋の観戦記に感銘を受け、「自分もこんな将棋を指したい」と強く思ったことがきっかけでした。
その後、
- 小学6年生で南口博雄九段門下に入門
- 1951年、奨励会に3級で入会
当時から頭角を現し、周囲の大人たちを驚かせる存在だったといわれています。
14歳でプロ入り|史上最年少の中学生棋士

1954年8月1日、
14歳7か月で四段昇段=プロ棋士デビュー。
これは
- 史上最年少プロ棋士
- 史上初の中学生棋士
という前代未聞の記録でした。
この記録は、藤井聡太棋士が更新するまで62年間破られませんでした。
プロ入り直後の快進撃が凄すぎる

加藤一二三さんは、プロ入り後すぐに結果を出し続けます。
主な若年期の記録
- 15歳:新人棋戦(六・五・四段戦)優勝
- 17歳:高松宮賞争奪戦優勝(公式戦最年少)
- 18歳:順位戦A級昇級(史上最年少)
この圧倒的な実績から、
「神武以来の天才」
と称されるようになりました。
若い頃はイケメン棋士だった?

現在の穏やかなイメージとは異なり、若い頃の加藤一二三さんは
**「ハンサムで知的なイケメン棋士」**としても知られていました。
黒柳徹子さんが
「本当に素敵な青年だった」
と語るなど、容姿と才能を兼ね備えた存在だったのです。
当時の愛称は「ピンさん」「ピンちゃん」でした。
中学時代に出会った妻・紀代さんとの純愛

加藤一二三さんの人生を語るうえで欠かせないのが、
妻・紀代(きよ)さんの存在です。
出会いのきっかけ
- 中学時代の同級生
- プロ入り後、学校を休みがちだった加藤さんに
紀代さんが授業ノートを貸したことが始まり
加藤さんは
「ノートのお礼に将棋を教えたら恋に落ちた」
と語っています。
成人式当日に結婚|64年間の夫婦生活

1959年に婚約し、
1960年1月15日、成人式当日に結婚。
将棋棋士という不安定な職業にも関わらず、
紀代さんは常に
「いい将棋を指しなさい」
と支え続けました。
引退対局(2017年)では、感想戦を行わず真っ先に帰宅し、
妻に「負けました」と報告。
その際、ネクタイをプレゼントされたというエピソードは有名です。
4人の子どもと温かい家庭生活

加藤一二三さんには、
一男三女・計4人の子どもがいます。
子どもたちの構成
- 長男:順一さん
- 長女:由紀さん
- 次女:美紀さん
- 三女:百合さん
将棋一本の人生でありながら、
- 幼稚園の送迎
- 寝る前の読み聞かせ
など、積極的に育児に参加する父親でした。
子育てと仕事を両立したエピソード

三女誕生時、
出産費用をまかなうために出版した書籍
『逆転の将棋』が大ヒット。
「子どもが増えたら仕事も増える」
という前向きな姿勢で家庭を支えていました。
子どもたちの現在と家族の絆
- 長男・順一さん:医療関係
- 長女・由紀さん:医療職
- 次女・美紀さん:修道女・大学教授
- 三女・百合さん:元マネージャーとして父を支援
それぞれが自立し、社会貢献の道を歩んでいます。
まとめ|天才棋士であり、家族思いの父だった
加藤一二三(ひふみん)さんは、
- 若い頃は前代未聞の天才棋士
- 私生活では一途な愛妻家
- 4人の子どもを育てた温かな父親
という、将棋界でも稀有な存在でした。
その生き方が、現在も多くの人に愛され続ける理由なのかもしれません。

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