【画像】ザコシショウの若い頃はイケメン?G☆MENS時代からR-1優勝までを徹底解説

スキンヘッドにサングラスという強烈な見た目と、「誇張しすぎたモノマネ」で知られるハリウッドザコシショウさん。

現在の姿がすっかり定着していますが、若い頃は髪があり、スリムで爽やかな雰囲気でした。

過去の写真が公開されると、SNSでは「イケメン」「ザキヤマに似ている」といった声も上がっています。

ザコシショウさんは、最初からピン芸人だったわけではありません。

高校時代の同級生・静岡茶っぱさんと「G☆MENS」というコンビを組み、約9年間活動していました。

この記事では、ハリウッドザコシショウさんの若い頃やコンビ時代、長い下積み生活を経てR-1王者になるまでを紹介します。

目次

ザコシショウの若い頃はイケメン?

ハリウッドザコシショウさんの若い頃は、現在とは大きく印象が異なります。

髪があり、細身で精悍な顔立ちをしていました。

2024年9月には、同期のお笑い芸人・なだぎ武さんが、若い頃のザコシショウさんの写真をXで公開。

なだぎさん自身も写真に「ちょっとイケメンやん」とコメントしており、投稿を見た人からも驚きの声が寄せられました。

写真は1995年頃に撮影されたものとみられ、当時のザコシショウさんは20代前半です。

現在はスキンヘッドとサングラスがトレードマークですが、若い頃の写真だけを見ると、同一人物だと気付かない人もいるかもしれません。

※ここに、なだぎ武さんが投稿した公式Xを埋め込む

若い頃がザキヤマに似ている?

ザコシショウさんの若い頃については、「アンタッチャブルの山崎弘也さんに似ている」といわれることもあります。

若い頃のザコシショウさんは、現在よりも細身で髪があり、輪郭や目元などに山崎さんと似た雰囲気を感じる人がいるようです。

ただし、誰に似ているかは見る人によって印象が異なります。

「山崎弘也さんに似ている」というのは公的な事実ではなく、公開された昔の写真を見た人の感想として広がったものです。

ハリウッドザコシショウのプロフィール

ハリウッドザコシショウ | Sony Music Artists

名前:ハリウッドザコシショウ

愛称:ザコシ、ザコシショウ

生年月日:1974年2月13日

出身地:静岡県静岡市清水区

所属事務所:ソニー・ミュージックアーティスツ

出身:NSC大阪校11期

同期:陣内智則、中川家、ケンドーコバヤシなど

ザコシショウさんは静岡県出身で、高校卒業後に大阪へ渡りました。

芸名の「ザコシショウ」は、本名の一部をもじって付けられたものです。

「ハリウッド」は、プロレスラーのハルク・ホーガンが「ハリウッド・ハルク・ホーガン」と名乗っていたことに影響を受け、後から加えたとされています。

高校卒業後にNSC大阪校へ入学

ザコシショウさんは、静岡県立清水工業高校を卒業しています。

同校は統合を経て、現在の静岡県立科学技術高校につながる学校です。

1992年にNSC大阪校へ11期生として入学しました。

同期には、以下のような芸人がいます。

  • 陣内智則
  • 中川家
  • ケンドーコバヤシ
  • たむらけんじ

現在も第一線で活躍している芸人が多い世代です。

ザコシショウさんはNSC入学後、高校時代の同級生だった静岡茶っぱさんとコンビを結成しました。

コンビ「G☆MENS」としてデビュー

ザコシショウさんと静岡茶っぱさんは、1993年にお笑いコンビ「G☆MENS」としてデビューしました。

コンビ時代のザコシショウさんは、現在と同じく勢いのある独特な芸風を見せていました。

G☆MENSは、当時若手芸人の登竜門だった大阪・心斎橋筋2丁目劇場などへ出演しています。

芸名は当時から「ザコシショウ」を使用していました。

現在の誇張モノマネとは異なる部分もありますが、予測不能な動きや大きな声を使ったネタなど、現在の芸風につながる要素は若い頃から見られました。

吉本興業を離れて上京

G☆MENSは大阪を中心に活動していましたが、1999年に心斎橋筋2丁目劇場が閉館。

その後、吉本興業を離れています。

ザコシショウさんは過去のインタビューで、当時は「リストラのような形」で吉本を辞めることになったと振り返っています。

2000年頃にはコンビで上京し、東京で芸人活動を継続しました。

しかし、すぐに仕事が増えたわけではなく、厳しい下積み生活が続いたといいます。

G☆MENSの活動終了理由は相方の引退

G☆MENSは2002年にコンビとしての活動を終了しました。

きっかけは、相方の静岡茶っぱさんが芸人を引退したことです。

静岡茶っぱさんは芸人を辞めた後、介護関係の仕事へ進んだと紹介されています。

媒体によって「解散」または「活動休止」と表現が異なりますが、2002年以降、ザコシショウさんはピン芸人として本格的に活動するようになりました。

不仲によってコンビ活動を終えたわけではなく、その後も交流は続いています。

元相方・静岡茶っぱと23年ぶりに共演

ハリウッドザコシショウの唯一の相方・静岡茶っぱ 23年越しの再結成で“相方とは何か?”を考えさせられる|静岡新聞アットエス

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2025年には、静岡放送の番組『冠ザコシの冠冠大冠』で、ザコシショウさんと元相方の静岡茶っぱさんが共演しました。

G☆MENSの活動終了から約23年ぶりとなる共演です。

番組では、コンビ時代の思い出や芸人を辞めた後の生活などが語られました。

長い年月を経ても元相方との関係が続いていることから、コンビ活動の終了が不仲によるものではなかったことがうかがえます。

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ピン芸人転向後も長い下積みが続いた

G☆MENSの活動終了後、ザコシショウさんはピン芸人として活動を始めました。

しかし、ピンになってすぐに売れたわけではありません。

テレビ出演が少ない時期にもライブへ出演し、動画投稿や自主制作DVDなどを通じて独自の芸風を磨き続けました。

その後、人物の特徴を極端にデフォルメする「誇張しすぎたモノマネ」が注目されます。

普通のモノマネとは大きく異なる、ザコシショウさんにしかできない芸風として人気を集めました。

2016年にR-1ぐらんぷり優勝

ザコシショウさんは2016年3月、「R-1ぐらんぷり2016」で優勝しました。

当時42歳で、出場者3,786人の頂点に立っています。

1992年にNSCへ入学してから、約24年を経ての大きなブレイクとなりました。

決勝では、誇張したモノマネを次々に披露。

唯一無二の勢いと芸風で会場を沸かせ、優勝を勝ち取りました。

R-1優勝後はテレビ出演が急増し、「誇張しすぎたモノマネ」が広く知られるようになります。

現在は賞レースの審査員も務め、若手芸人を評価する立場でも活躍しています。

ザコシショウの若い頃から現在まで

若い頃から現在までの経歴を時系列で整理すると、以下のようになります。

年主な出来事
1974年静岡県に誕生
1992年NSC大阪校11期生として入学
1993年G☆MENSとしてデビュー
1999年心斎橋筋2丁目劇場が閉館
2000年頃コンビで上京
2002年相方の引退に伴いコンビ活動を終了
2002年以降ピン芸人として活動
2016年R-1ぐらんぷり優勝
2025年元相方・静岡茶っぱと約23年ぶりに共演

ザコシショウさんは、20代でG☆MENSとしてデビューしましたが、全国的にブレイクしたのは40代になってからです。

長い下積み期間にも芸人を続け、独自の芸風を貫いたことがR-1優勝につながりました。

まとめ

今回は、ハリウッドザコシショウさんの若い頃やG☆MENS時代について紹介しました。

若い頃のザコシショウさんは、現在とは異なり、髪があって細身の爽やかな姿でした。

なだぎ武さんが昔の写真を公開した際には、「イケメン」と話題になっています。

経歴をまとめると、次の通りです。

  • 1992年にNSC大阪校へ入学
  • 高校の同級生・静岡茶っぱとG☆MENSを結成
  • 吉本
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